運動会の表現 去年と同じもアリ?
運動会の学年団体は、学年によって固定していることを以前書きましたが、「表現」は、できる限りずっと同じものをしていました。
たとえば、ある学年は1年生から6年生までずっとソーランをするんです。
流石に全く同じではなく、隊形を変えたり、曲を変えたりはありました。1•2年ではキッズソーラン、3•4年では南中ソーラン、5•6年ではよさこいソーランにしたり。というふうに変化はありますが、もとにある「ソーラン」は同じ。
一輪車だとか、エイサーだとかをずっとやった学年もありました。その学年は、「一輪車学年」とか「エイサー学年」とか「ソーラン学年」とか呼ばれたりするんです。
流石に一年生には難しいなー。とか、逆に5•6年までは進化させられないなー。とかで、止むを得ず途中で変えることもありましたが、基本的に6年間同じ取り組みをする。
4年生の運動会を前にして、「今年南中ソーランしたかったけど、この子達去年してるよなー。悔しいなー。困ったなー。」ではなく4年生でも同じ南中ソーランでできることを考える。
同じことやっちゃいけない決まりなんてないのに、なぜか被らないようにすることの方が当たり前になってる。ってことないですか。
でも毎年、今年は何しようかなー。から始まり、子供達も1から練習始めなきゃなんない。運動会の学年の練習は、ほとんどが表現の練習で、ランニングや団体はほとんどできない。ということがありがちです。
それに、せっかく多くの労力をつぎ込んで完成させたものを、1年で終わらせなきゃならない決まりはない。また、来年もやりたい!って子どもも 多いはず。
同じことを続ければ、子どもはもう動きは覚えている。全く同じでなくても、基本的な動きは身につけている。また、日頃から練習していくこともできるので、運動会期間中に慌てなくてすむ。
その分、隊形を複雑にするとか、動きの難易度を増すとかして、やってることは同じでも、質の高いものを見せることができる。
子どもたち自身に隊形を考えさせたり動きについて見直させたりといった、子どもの自主性や思考力を育む大切な活動も仕組んだりできる。
さらに6年生の最後には、一つのことを長く追究した集団にしかないすごいエネルギーと誇り、充実感で溢れた姿を「表現」できる。
事実、観客が息を飲むほどの雰囲気の中で6年生が最後の表現を披露し、大きな拍手をもらう場面を見てきました。
見てる親も下級生も6年間の集大成であることがわかってるんですね、
ちなみに、必ず「表現」と言うようにしてました。「ダンス」とか「踊り」とは言わない。
なぜなら、ずっと取り組んでいると、きつい練習を乗り換えてきた、友達と教え合い、高め合ってきた、その姿を見せるんだという思いが込められてくる。その思いを運動会という晴れの舞台で、見ている人たちに「表現」する。
だから「表現」と敢えて言い、子ども達もその意味を理解していました。
ただ、毎年流行りの歌謡曲に振り付けしたものだった場合は難しいと思いますが、それでも過去の取り組みとつなぐ視点は大切だと思います。
最後まで読んで頂きありがとうございました。