新人研〜教師のおごりを謙虚さへ〜
今でこそ、県内の異動のルールや学校内の体制の変化などで「精神と時の学校」に自ら希望していく方もいるようです。若い先生が違った環境で学べるチャンスがあることはとてもいいことだなあと思っています。
ただ、私が務めていたころは、望んでいくということは、少なくとも私自身考えられませんでした。
できることなら避けたい。噂に聞く次のような要素がたくさんあったのです。
「年次制」と呼んでいた、年齢よりも勤務年数が長い者が指導的立場になる制度。
研究授業の数々。
あって無いような勤務時間の決まり。
そして「新人研」。
封建的と言われる制度の代表格です。
異動して来た者は、何歳であろうと「新人」とされ、四月に研究授業をするのです。
今、働いている皆さんならお分かりのように、四月は様々な行事、雑務が次々とあり、そんな中で研究授業というのは普通考えられないのですが、なにせ「精神と時の学校」ですから、、、。
しかも自分は道徳部に所属したため、道徳の指導案の提出を求められました。本時案だけでなく、いわゆる指導案の三枚「鑑、指導計画、本時案」でした。
恥ずかしながら、それまで、道徳の指導案なんて一度も書いたことはなかったのです。しかも誰も何も教えてくれません。見よう見まねで何とか書いて提出しました。
授業当日。
「新人」の三人が一日に全て授業を行い、その全てを校内全ての先生が見にきます。
元々、自分は道徳の研究授業などやったこともなかったので果たして良かったのかどうか、授業を終えて判断できなかったけど、今までの経験からして、そう悪くもなかったんじゃないかなー。といった感じで、放課後の事故研に臨みました。
今から思えば、明確なねらいがなかったから、なんとなくでしか判断できなかっただけの話ですが。
厳しいことを言われることは噂に聞いていましたが、噂以上でした。
「年次」が低い人から質問や意見が出るのですが、「年次」が高くなると、言う内容も厳しくなってきます。
「今日の授業のねらいはなんですか?」
「ねらいも持たずに授業したんですか?」
「今後二度とねらいを持たず子どもの前に立たないでくれますか。」
「道徳の授業とは言えない。ただの『仲間分け』の授業。」
「あれが『板書』なの?」
全員の前で年下からも言われ、10年以上の教職の経験もプライドもボロボロになりました。
それまで何度も研究授業を行い、事後研もしてきましたが、それなりに「いい授業でしたね。」的な感じで、拍手で終わってきた私にとっては、大きなショックでした。
しかし、衝撃はこれでは終わりませんでした。「新人」三人の中で一番年上だったA先生の最後の事故研が始まると、もういきなり、年次が上の方の人から
「A先生は○○さんのことが嫌いでしょ?」
(確かにA先生はよく喋り、○○さんが発言しようとするのを制してA先生が喋る場面が何度かあった)
「自分の子どもがこの学校にいたらあなたに担任されたくない。」
終いに研究主任がすごい勢いで立ち上がって、「公開研で授業はさせられない!」
そりゃもう「シーン」でしたよ。
その後はどんな形で研究会議が、終わったか覚えていません。ただ、A先生の顔が見えなくなるくらい、下を向いていた姿だけが脳裏に焼き付いています。
なぜこんなことする必要があるのか。
答えはA先生の姿ありました。
翌日からA先生の子どもの接し方が何だか違う。笑顔で子どもの言うことに耳を傾ける。話しを遮られずに聞いてくれる子どもも嬉しそう。
「個人研」というのもあって、その年にもう一度全員の先生の前で授業をするんですが、A先生の授業は「先生が話す、教える授業」から「子どもが話す、考える授業」へと変わっていました。
新人研で厳しい言葉をたくさんぶつけた先生達もその変容を喜んでいました。
その後もA先生が謙虚に努力を続ける姿は、「A先生も頑張ってる。自分も頑張らないと。」と辛く厳しい「精神と時の学校」で過ごす私の励みにもなりました。
長い間かけて身についてしまった教師の授業観、指導観というものは、そう簡単に変わらない。ともすると、「授業してあげている。」「教えてあげている」というおごりがある。それを「子供がいるから教師がいる。」「子供がいるから授業がある。」という謙虚さへ。「新人研」はそう変える荒療治だったのです。
このやり方には賛否あるかも知れせん。しかし、「新人研」によって変わった先生がたくさんいたのも事実です。ということは、多くの子ども達が救われたことになります。
新人研の厳しさは、その先生の為でもあり、その先生が接する多くの子ども達のためでもあった。
だからこそ心を鬼にして厳しく指導する先輩の先生方がいたのです。
今はもう「精神と時の学校」には「新人研」はないと聞いています。問題解決的な授業や、協同的な学習が普通になって、先生方の授業に臨む姿勢が変わってきた今の時代には必要ないだろうと思います。
だけど自分はこの先教育に携わる仕事をする限りは、あの新人研での貴重な経験と謙虚さを忘れずにいようと思っています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。