「精神と時の学校」で学んだこと

「1日が365日」とまではいかないけれど、いた時間以上に多くのことを学んだ学校。そこで学んだことを紹介します。

授業記録のススメ〜記録の上達は授業の上達〜

誰かの授業を参観するときは「できるだけ忠実に」ノートに記録にとるようにしています。

教師の言葉も子どもの言葉も。

 

授業が上達への道 その2 - 「精神と時の学校」で学んだこと

 

「精神と時の学校」の事後研で、いきなり「今日記録を取らなかった人は発言しないで下さい。」と言われたことがありました。

「一般論ではなく、この授業でしか言えない子どもや教師の事実をもとに授業の話をしよう。」という強いメッセージだったのです。

 

記録をとると、事後研で教師や子どもの「具体」で話ができます。

 

「授業の課題は良かったのか。」「手立てはどうだったのか。」「こんな子どもの変容が見られたのはなぜなのか。」「見られなかったのはなぜなのか。」

話が具体的になります。

 

たまに、子どもを見らず教師も見らず、本時案をずっと見てる人がいます。ならまだしも、腕組みしてずっと後ろに座ってる人もいます。

もったいない。

せっかく、同じ45分の時間を使い、せっかく授業を見せてくれている。

少しでも多くのことを学ばなければ。

 

記録さえとっておけば、授業中に本時案を見なくても事後研で本時案と記録を照らして授業を見直せる。その方が勉強になることがたくさんあります。

 

事後研のためだけではありません。

授業中も得るものがあります。

 

前に立って授業しているとわからないけど、記録をとっているとわかるんです。

「あ、この先生の言葉はいいな。」逆に「いらないな。」「自分だったらこう切り返すな。」とか。

「本当はこの子はこんなことが言いたいのに、先生は自分の都合のいいように解釈してるな。」などと実は教師が無理に引っ張ろうとしているところもよくわかる。

必然的に授業を細かく見ることができます。

 

教師の経験を重ねると、記録をとらなくても、何となくその授業が良かったのかどうかはわかるようになってくる。でも記録を取らなかったら、本当はもっと多くの、得られるべきことを見逃している。と思うのです。

 

子どもの発言捉えが自分の授業にもいきてきます。

言葉足らずな子どもたちです。でも「本当はこんなこと言おうとしてるんじゃないか」っていう、「発言捉え」が上達します。

 

そうなると子どもの発言が聞きたくなる。発言の背景がわかれば、この子の発言をどう生かそうか、広げようか、深めようかと思い始める。

自然と教師の言葉が減り、子どもの発言が増える授業になります。

 

私の場合、最初は忠実に記録をとっていました。途中、流れをまとめながらとったりする方法も試してみましたが、結果、忠実にとるほうが取りやすいし、自分の授業上達にもつながると思い、今でも出来る限り忠実にとってます。

 

座席表や本事案に書き込んで記録している人は多いと思いますがそれは、「メモ」であって、記録とは言えない。今でも記録をとってる人はいると思いますが、「出来る限り忠実にノートに取る」ということが大切だと思います。なぜなら子どもの発言は、一言一句、最後の最後の言葉まで聞かないとその背景がわからないことがあるからです。

また、何がその子どもの姿につながっているのか、時系列で教師の言葉や手立てと子どもの言葉、動きの関連を見ていくことも大切だと思います。

 

グループ学習が主な授業の場合など、とくにぼんやり授業を見てしまいがちですが、「この子」と決めて記録をとって、1人の子どもの変容や教師の手立てを見ていくと学べることがたくさんあります。

 

是非、授業を見る機会があるときは、可能な限り忠実に記録をとってみて下さい。最初はなかなか取れないけれど記録をとるのも上達してきます。するとこれだけでも自分の授業上達につながりますよ。

これ本当。

 

授業上達のために〜記録起こしの大切さ〜 - 「精神と時の学校」で学んだこと

 

以上、「授業記録のススメ」でした。

 

読んでいただきありがとうございました。