運動会の表現で目指すものは
運動会で各学年の「表現」があります。
運動会の練習のほとんどが「表現」に使われている学校は多いことと思います。
そこまでして時間をかける「表現」で、先生達が目指しているものはなんでしょうか。
運動会当日、可愛らしい姿、頑張る姿、一糸乱れぬ姿を見せて、観客からの大きな拍手をもらうこと。
多くの教師がそこを目指しているのではないでしょうか。しかし、本当にそれで良いのでしょうか。
「精神と時の学校」では、表現の練習をするとき、10人のグループを作っていました。そして、10人が最後までできるようになったら、テストを受けさせるのです。10人全員が最後までの動きを覚えて、「表現」することができたら、合格。
メダルをプレゼントします。
だれか1人でも間違ったり、腰を落としていなかったり、手が伸びていないなど条件に合った動きが出来ていなかったりすると、音楽を止め、不合格とします。
時々の全体での体型移動の練習などのとき以外は、そのテストやグループ練習をひたすら繰り返していくのです。
すると、10人の中に壁ができてきます。
「あいつがいるから、合格できない。」
「もうメダルなんていらない。」
チームの中で喧嘩も起きます。
その「壁」を子ども達に乗り超えさせていくのです。
ですから教師は全員の前に立って、動きを教えることが主な役目ではありません。
子ども達が壁を乗り越えていけるようにすることが主な役目です。
時には、まとまっているチームをみんなの前で褒める。
時にはバラバラなチームをみんなの前で叱る。
時には9人は完璧なチームに、「もう合格でメダルあげてもいいけど、どうする?」と問いをかけ、「いらない、10人でもらいたい」という言葉を引き出す。9人で必死に1人に教え、1人の子が最後に合格したときは、9人が自分のことのように歓声をあげる。
そのような運動会の「表現」の取り組みを通して、
子ども同士教え合うこと、協力し合うこと、時には本音でぶつかること、など、集団の中で大切な価値を実感させていくのです。
それらを実感した子ども達が、運動会当日、これまでの道のりを「表現」した先に、結果として観客からの大きな拍手があるのです。
そんな「表現」であれば、運動会が終わっても、教えあったり、協力しあったり、本音で語り合ったりする子どもの姿が見られます。
授業にも、そのような学習活動の場を仕組むことで、子ども達だけで、質を高めていけます。
なぜなら運動会の「表現」を通して、子ども達はもう、教え合うことや協力し合うことや、本音で語り合りあうことの先に、自分達の成長があることを知っているからです。
運動会の取り組みを通して、運動会だけでは終わらない力をつけていく。
私たち教師が目指すべき子どもの姿とは、そこではないでしょうか。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。