「精神と時の学校」で学んだこと

「1日が365日」とまではいかないけれど、いた時間以上に多くのことを学んだ学校。そこで学んだことを紹介します。

歓迎遠足の提案にて

勤務し出してすぐ、職員会議で歓迎遠足の提案がありました。

 

1年生から6年生の縦割班が、広い公園でウォークラリーをする内容でした。

 

しかし、なかなか遠足の当日の動きの打ち合わせに話がいかないのです。

「今回の遠足のねらいはこれで良いのか。」

「遠足のテーマはこれでよいのか。」

ということにかなり時間をかけていました。

そうしてやっと、ねらいとテーマが決まり、当日の内容の話にいったと思ったら、、、。

 

「そのテーマを達成するために、活動はウォークラリーでよいのか」

「場所は○○でよいのか。△△の方がテーマを達成できる場所なのではないか。」

と今度はこんな話になりました。

 

その後、なんと「今からみんなで行ってみよう」という話になり、みんなで車に分乗し、現地にいって、日が傾く中、みんなでウォークラリーのコースを歩きました。

行ってみた結果次第では場所や活動を変える勢いでした。結局変えはしませんでしたが。

 

遠足当日の動きよりも、ねらいや、そのねらいと活動内容、場所があっているのかということに時間をとる。

 

「なんなんだこの学校は」と思った最初の思い出です。それに、こんな面倒なことやってるのに、話し合うみんなも、下見で歩くみんなもなんだか楽しそうだ。

やばい人たちの集まりかと思いました。

 

しかし、このことから学んだことがあります。

 

この職員会議の意味するものは、何においても、なんのためにそれをするのか、どんな力をつけるためにするのか、という「ねらい」をしっかり持つことが大事なんだということです。

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それまでの自分の経験では、職員会議ではねらいやテーマよりも、内容や教師の動きに重きをおき、打ち合わせ的なことの話し合いに時間をとる。時には、「ねらいは去年と同じです。読んでおいて下さい。」と提案される場合もある。

 

確かに、大抵の学校では論議する時間も限られており、会議を効率的に行うことは大切でしょう。

ましてや今からみんなで下見に、ということなんてまず不可能でしょう。

 

でも子どもの実態は毎年違う。だから付けたい力も当然変わる。それならねらいも当然かわるはず。

もし「ねらいは去年と同じ」ということがあったとしても、なぜそのねらいなのか、去年と同じなのかということは、しっかりと提案され、時には論議されるべきだと思います。

 

その時は時間はかかるかも知れない。でも何のためにするのか。どんな力をつけるのか。この遠足が終わったときに、子どもがどんな姿になっていれば良いのか。

というねらいを全教職員がしっかり理解すれば、じゃあそのために、どう動けばよいのか、どんな指導をすればよいのか、ということが揃ってくる。結果、いろんな場面で効率も良くなります。

 

今回は遠足の例で書きましたが、毎日の授業にしても何にしても、教育という営みの中では、何のためにこれをするのか、どんな力をつけたいのか、という「ねらい」をしっかりともち、意識することは大切ですね。

 

「ねらいが大切」ということを、読んでくれた方々に伝えるという、私の本日のねらいは達成されたでしょうか。

 

読んで頂きありがとうございました。