「精神と時の学校」で学んだこと

「1日が365日」とまではいかないけれど、いた時間以上に多くのことを学んだ学校。そこで学んだことを紹介します。

課題を黒板に、貼るべきか書くべき

ふと気づいたら、ここまで授業に関わることを一つも書いていなかったので今日書きます。

 

授業の中で「課題」って板書に位置づけますよね。

 

その時間、その単元で子どもが考えていくこと。

その課題を解決するするために学習活動を行い、教師の手立てがある。

課題がなければ、「考える授業」は成立しません。

 

だから、「今日の課題はどうしようかなー」なんて考える。それで、「よし、今日の課題はこれだ!」って決まったら、黒板に貼るためにそれを紙に書いちゃう人いませんか?

 

精神と時の学校では、課題を紙に書いて貼る人は一人もいませんでした。

 

異動してきて勤務し始めた人にだけ「新人研」というのがあって、四月に全員の先生にいきなり授業をみられる研究授業があるんですが。

(この「新人研」についてはまた別の記事で。)

その時は用意していた課題をペタって張っちゃうことがある。

授業してる方としては、「ちゃんと課題位置づけてるね。」「課題がある授業してるね。」って褒められると思いきや逆なんです。

 

新人の先生がなかなかいい導入で授業に入る。それでも課題をペタって貼った瞬間、「はい、アウトー」ってなる、

 

ここで 「え?なぜ?」という課題がみなさんに位置づきましたか?

 

なぜか。

書いて貼った瞬間に、その課題は「子供が自ら考えたい課題」から「教師が子供に考えさせたい課題」に変わることを意味するからです。

 

予め準備していた課題を貼れば、子どもは「なんだ、先生最初から決めてんじゃん。」「結局自分たちは、いつも決められたことを学んでいくんだな」ってなる。そう言葉に出す子どもはいないし、子ども自身も気づいてはいないかも知れない。でもだんだんそんな学び方になってくる。

 

今、育成すべき資質能力に、「学びに向かう人間性」が言われてます。

これを育むための一つの取り組みとして、課題は貼らずに位置づけることを日々目指すことは大切なのではないでしょうか。

 

そうすれば、教師の授業する意識も、「今日みんなが考えることはこれですよ。」ではなく、「課題を子どもから引き出そう。手立てはどうしよう。」になってくる。そんな導入の工夫を行うようになる。

そうしていると本当に子ども自らが課題を呟いたり、言ったりするようになる。

 

そんな授業が日々繰り返され、考えることが楽しい子ども、授業するのが楽しい先生が増えてくる。

 

そんな訳で、課題を貼るかチョークで書くか。些細な違いなようで、実は大きい。ということ。

 

関連記事

子どもが「問いをもつ」ということ - 「精神と時の学校」で学んだこと

 

 

最後まで読んで頂きありがとうございます。