「精神と時の学校」で学んだこと

「1日が365日」とまではいかないけれど、いた時間以上に多くのことを学んだ学校。そこで学んだことを紹介します。

不易流行〜「問いの深化」と不易と流行〜

不易流行という言葉。

最近、教育界でもよく使われています。 指導要領の移行期で、伴って新しい言葉も出てきたことが背景にありそうです。

この「不易流行」について、「精神と時の学校」の「問いの深化」ということから思うことを今回書いてみます。

課題のことを「問い」と読んでいたことは、以前書きました。

子どもが「問いをもつ」ということ - 「精神と時の学校」で学んだこと

その中でも中心の課題のことを正確には「問い2」(といに)と読んでいました。 なぜ問い「2」なのか。 問い1や問い3はあるのか。

ありました。問い4まで。

子ども達の「問い」は、一時間、もしくは一単元の問題解決の過程の中で深化していく。 このことを問い1から問い4まで、「問いの深化」と呼んでいたのです。

問い1は、問い2につながるような問い。

問い2は、子どもが最も疑問に思う、解決したい中心の問い。

問い3は、解決の方向が見えてきたところで、本当にそれで良いのかな?という見直しの問い。深める問い。

問い4は、今日はどんなことを学んだのかな。これから、どんなことに生かせそうかな。という、学びを振り返り次につなぐ問い。

小運動会で「見直しの問い」 - 「精神と時の学校」で学んだこと

例を道徳で示すと次のようになります。

問い1 (道徳的な行為をした)主人公行がこのようなことができたのはなぜだろう。 問い2 (道徳的な行為ができたのは)主人公にどんな思いがあったのだろう。 問い3 ○○のような思いがあったからできたのだろうか。 問い4 今日の学びから、自分のこれからに生かせることはないだろうか。

あくまでこれは例ですが、このように子どもの意識が、一時間、一単元で繋がっていくようにどの授業でも、特別活動等でも心がけていました。

運動会の表現 去年と同じもアリ? - 「精神と時の学校」で学んだこと

長い単元で行う教科では、特に子どもが問いを持ち続け、深化していくように単元の構成や手立てを考えていました。

この「問いが深化する。」ような学びの中にある「不易」。 それは「子どもが一つのことを追究し続けている」ことです。 当然のことながら、一つのことをずっと追究しているからこそ、問いがつながり、深化していくのです。 さらに一つのことを追究し続けるからこそ子どもたちは、乗り越えなければならない壁と出会う。そのとき、「どうすればこの壁を乗り越えられるのか。」という主体的な「問い」をもつ。 壁は当然、段々高くなっていく。だから問いも深化していく。

壁を乗り越えるために、他者と対話したり協働したり、それまで身につけた知識や技能を活用したりする必要性が生じる。学びはアクティブに。 そして次のようなことにつながっていきます。

・「資質・能力」の育成 ・「探究的な学び」の実現 ・「主体的・対話的で深い学び」の実現 ・「単元を通した課題」 ・「各教科に応じた見方・考え方」を働かせた学び

これらの今「流行」のように見えてしまうことも、「不易」である、「一つのことを追究し続ける学び」、言い換えれば問題解決的な学習の中で実現できることが多いと思います。

まさに新指導要領で大事にしていることは、実は今までも大切にされてきた「不易」なことがあったからこそであり、それを今新しい言葉で、より深く意味付けと価値付けをしているのだと思います。

今まで長く先輩の先生課題が築き上げてきた「不易」なものに、時代の流れの中で出てくる新たな「流行」を関連付け、より深い意味と価値を付け、より深化した「不易」なものにしていく。

不易流行の意味は、「いつまでも変化しない、本質的なもののなかにも、新しいものを取り入れ、変化していくこと。」とあります。

一つのことを追究する学びをこれからも大切にしていくことはまさに「不易流行」である。と、問いの深化」を学んだ「精神と時の学校」を経験して思うところです。

読んで頂きありがとうございました。