「精神と時の学校」で学んだこと

「1日が365日」とまではいかないけれど、いた時間以上に多くのことを学んだ学校。そこで学んだことを紹介します。

「時間はつくるもの」であることをお茶汲みと台拭きから学ぶ

これまた、封建的といわれる代表格です。

 

一年次の先生は、会議の前に、会議室の台を拭く。

さらに、全員分のコーヒーを入れて配布するというお茶汲みをする。

ということになっていました。

 

コーヒーは、ドリップ式のものだったので、会議がある日は何度かコーヒーをドリップして、ポットに溜めておかなければならない。

これを、私の時は同じ一年次の三人でやっていました。

「精神と時の学校」は、職場会議少ないけど研究会議が多い学校でしたから、いつもコーヒーをつぎ、台拭きをしていたように感じていました。

そのため休み時間にはコーヒーをドリップし、会議の前には上の年次の人よりも早めに会議の準備に取り掛からねばならないのです。

 

最近では、どの職業、職場でも、このようにお茶汲みや台拭きを特定の者にさせるということは、減っているのではないでしょうか。「精神と時の学校」でも、今はしていないのではないかと思います。

 

新人研修を兼ねて、礼儀を重んじる為に敢えて行なわせているところもあるかも知れません。

 

「精神と時の学校」でお茶汲み、台拭きをしていた時も、やはり指導して下さる先輩先生方への礼儀の意味で行う意味合いが強かったと思います。

 

ただもう一つ「精神と時の学校」では、意味がありました。

 

 

それは「時間はつくるものである。」ことの実感。

 

その日会議があるとわかっていれば、朝から、コーヒーをドリップする必要がある。会議の前には早めに会議室に行きコーヒーを入れたり、台を拭いたりしなければならない。

 

そうなると、お茶汲み、台拭きを行う時間のことも考えて一日を見通す必要が出てくる。逆にそれを見通しておかなければ、絶対に間に合わないのです。

 

会議が突然入って間に合わないのは仕方がない。

しかし、定期で行われる会議や、決まっていた会議に間に合わなかったら「会議があることはわかってたんでしょ?」となるわけです。

忙しいとか、急用が入ったとかは理由にならない。「忙しい、急用が入ることがあり得ることだって、わかってることでしよ?」となるわけです。

 

何事も見通しをもって取り組むことが大切であるということ。つまり、「時間は作るもの」であるということを、このお茶汲み、台拭きを通して、シンプルに学んだのでした。

 

お茶汲み、台拭きは、一つの例です。次の年からはしなくて良くなるわけですから。

 

しかし、他のどんな仕事をするにしても常に先を見通し「時間をつくる。」ことが大切である。

忙しいのは時間がないからなのか。それとも、時間を作るのような仕事の仕方をしていないからではないのか。

そんなことを、ただでさえすることが多かった「精神と時の学校」の中で、お茶汲み、台拭きをくり返していた日々を思い返し、今でも見つめなおすことがあります。

 

他の記事でも述べましたが、働き方改革が重要な今。仕事内容やシステムを見直すことはとても大事なことです。人を相手にする学校では限界があります。

それだけに自分が見通しをもって、いかに時間を作るかを頭の中で意識することは、今すぐにでもできることであることであり、とても大事だと思います。

教員が時間をつくるということは、子どもと向き合う時間をつくるということに繋がるのですから。

 

読んで頂き、ありがとうございました。