「精神と時の学校」で学んだこと

「1日が365日」とまではいかないけれど、いた時間以上に多くのことを学んだ学校。そこで学んだことを紹介します。

学年会が子どもを育てることにつながる。

学校では、複数学級がある場合、「学年会」が行われます。 打ち合わせです。

「精神と時の学校」でも、どの学年も3学級ということもあり、定期的に、または必要に応じて行われていました。

学年会でも分担ができていて、「計画を立てる担当のもの」「計画に応じて必要な場所や物を準備するもの」「計画をチェック、指導するもの」という担当が決まっていました。 (「年次制」というものがあり、それに基づいて、担当が決まっていました。「年次制」についてはまた別の記事で。)

計画担当のものが、次の学年会までの一週間の日程や、おおまかな一カ月の計画を出します。 学年長が、指導及びチェックをします。

そして、その計画を実行するために、準備担当のものが、必要な場所をとったり、物を準備したりします。

常に、先、先の計画を学年の教職員で共通理解するために学年会を大切に行っていました。

それはなぜか。

当然ですが、これで次の学年会の日程が決まるので、日々、「どうする?」という話は必要なく、打ち合わせた内容に基づき、それぞれが、スムーズに動くのみです。

今この記事を読んでいる、いつも学年会をきちんとしている方々は、見通しをもってスムーズに動けていると思います。

では、見通しをもつことがなぜ大切なのかということを考えたことはありますか?

それは、教師が見通しをもつことが、子どもを育てることにつながるからだと思います。 それに気づいている方も多いでしょう。

教師が、この先何があるか、どんな行事があるかをきちんとわかっていれば、子どもに「手立て」を講じたり、考えたりする時間的余裕やアイデアが生まれます。

見通しなく、ついつい行き当たりになってしまうと、「子どもにさせるより、教師でやってしまおう。」と、本来、子どもにさせて、子どもが育てるべきことを教師がしてしまうことがあります。

例えば、二週間後に、行事があり、そこで、自分のクラスの子どもが挨拶をすることになったとします。 学年会で早めにそれを決めれば、誰に挨拶させるか、どんなことを言わせようか。時には敢えて人前で喋ることが苦手な子にチャンスを与え、挨拶の練習をさせ、成功体験を味わわせることもできます。

学校は忙しく、学年会ができなかったがために、前日とか、ひどいときには、当日子どもが挨拶することが決まることもあります。 そうなるとどうでしょう。 子どもに練習させるどころか、挨拶を考えさせる時間すらなく、先生が書いた言葉を、そのまま紙を見ながら読むことになる。

その言葉に当然気持ちはこもっておらず、そんな言葉を聞く側にも何も伝わらない。

教師が見通しをもててないことが、たくさんの子どもを育てるチャンスを失うことになります。

大袈裟かも知れません。

しかし、私は、「精神と時の学校」で、挨拶一つで変わった子どもも見てきました。

学校における最終的な目標が、子どもを成長させることにあるのなら。 学年会によってより多くの教職員が、より先まで見通しを持つことは、学校の目標を達成するためにもとても大切なことだと思います。 学年会が子どもを育てることにつながる②たかが学年会 されど学年会 - 「精神と時の学校」で学んだこと

読んでいただき、ありがとうございました。