「精神と時の学校」で学んだこと

「1日が365日」とまではいかないけれど、いた時間以上に多くのことを学んだ学校。そこで学んだことを紹介します。

心に残った先輩教師の言葉①

「新人研」

新人研〜教師のおごりを謙虚さへ〜 - 「精神と時の学校」で学んだこと

が終わると、少しずつ先輩の先生方がいろいろなことを教えてくれるようになります。

 

「精神と時の学校」では、問題解決的な授業を構想する際、課題に対して出てくるであろう子どもの考えをおおよそ、3つの層(とよんでいましたが。)で想定していました。

 

一番浅いと思われる考えのまとまりをA層。多くの子どもが持つであろう考えのまとまりをB層。そしてねらいとする、最も深い考えをC層。

と呼んでいました。

 

ある時、とある先輩から聞かれました。

「この課題に対するC層(ねらいとする一番深い考え)は、どんなものを想定してる?」

私は、最も深い考えとして想定していたものを答えました。

その時、先輩から言われた言葉が心に残っています。

「それが一番浅いA層だと思いなさい。」

 

十分深いと思って想定していた私なりのC層でした。それを「まだまだ浅い!」と言いたかったのだと、その時は思いました。もちろんそれもあっただろうと思います。しかし、それだけではなかったことが、後に授業をしていくうちにわりました。

 

教師が深い考えを想定しておけば、教師が子どもの発言の背景を捉えることができるのです。

 

「あーこの子は、今はA層の考えだけど、Bに近いな。」とか。

 

「Bの考えからCに変わりつつあるな。」とか。

 

発言の背景が捉えられれば、授業の幅も広がります。

 

反対にそれまでのように1つのねらい、それも浅いねらいを想定していると、教師の子どもの発言捉えも狭く、浅くなっていたことに気づきました。

 

参観している授業で、子どもが教師を越えてしまってる授業がたまにあります。

子どもはすごいこと、ねらいとすることを言ってるのに、先生が発言を捉えきれていない。だからいかせない。広げられない。深まらない。

 

そんな授業の事後研で、「あの子の発言を拾ってもっと広めてあげれば良かったですね。」なんて意見が出るんですが、発言を拾えなかった、広められなかったのは、その先生の授業技術不足というよりは、その先生が、想定していた考えが浅かったということだと思います。そこを指摘することはあまりありません。

 

先生が発言を捉え切れず迷ってしまうならまだいい方で、「〇〇ちゃんが言ってるのはこのことだよね。」なんて言って、無理矢理、教師の浅いねらいにまとめちゃうこともあります。

 

そんな授業の事後研で、「想定していなかったような発言も出て、子どもってすごいなって思いました。」と言って、子どもの凄さに感心することがあります。

 

子どもから学ぼうとする姿勢は素晴らしいと思います。1年間、何百時間も授業してたら、時にはそんなこともあるでしょう。

 

でも、「想定していなかった。」それはつまり、子どもが教師を越えちゃってる。ってことを意味しているわけです。

ねらいを持って教師が授業するからには、子どもに越えられてしまっては、授業ではなくなっているのではないか。

 

そんなことに気づいて、次の授業にのぞむか。「やはり子どもって凄いな」だけで終わって、また次の授業にのぞむか。

その差は大きい。

 

そんなことを、先輩の先生は、あの一言で教えてくれたのではないかと思っているんです。

 

みなさんも、「想定したねらい、それが一番浅い考えである」ことからスタートして授業を構想し、日々の授業をすることを意識してみてはいかがでしょうか。

 

きっと授業に、子どもに、変化が現れると思いますよ。

 

読んで頂き、ありがとうございました。